会社概要

エンジェル投資家、個人投資家なかいてつや

投資家としての歩み

0歳 1975年誕生

大阪で、長男として生まれる。父の名前に「トシオ」、母方の祖母の名前に「トシコ」とあるが、この名前故に、「トシ(投資)」と関わるようになったと言う説もあるとか、ないとか・・・。この後、私の下に5人の兄弟ができるとは、思いもしなかった。というか、0歳では、そんなこと、想像さえできないか。

7歳 最初で最後のいい経験

小学生最初で最後の良い想い出。バレンタインデーでハート型のチョコをもらう。学校生活で、最初で最後のチョコ。ここから6年間、いじめられっ子生活を堪能することとなる。もちろんチョコのせいではない。

10歳 最初のお金儲け

たまたま散歩している時に見つけた、フィルム現像の安い店。駅前にある現像店との価格差が、約二倍(安い店500円、高い店1000円程だったと記憶している)あることに気付き、数少ない友達に「フィルム現像を安くやってあげる」と言って、小遣いを稼ぎだしたのがこの頃だったように思う。

14歳 お金で友情を買ってた

後に家出を手伝ってもらう叔父の事業のおかげで、金回りが良かった祖母。会いに行くと、毎回1万円をくれていた。友達の居なかった私は、あるグループに「焼き肉を好きなだけおごってあげる」と声をかけ、形だけの友情を買う。最初は満足だったが、自分で仕掛けたくせに「結局、お金しか見てくれていない」と、勝手に寂しがっていた。「心をお金で買うと、後々まで自信が持てない」と言うことを学んだ、貴重な経験のひとつ。

16歳 家出

とても厳しかった両親の元からの逃亡を計画する。ある夏の日の夕方、家を出たっきり戻らなかった。当時、お金持ちだった叔父が、ヘリコプターを持っていたので、関西テレビの屋上からヘリコプターを飛ばして、四国は高知県へ逃がしてもらった。逃がしてもらったと言えばかっこいいが、実は高知県に親戚がいたので、預けられただけだったようだ。

しかし、親戚の家からも脱走して、年齢詐称(18歳ですと言っていたが、子供の顔なのでバレていたと思う)で住み込みで働かせてもらっていた。この夏は高知県で過ごし、数ヶ月経った頃、流石に寂しくなり、自分から親に電話。「一人暮らしを認めること」を条件として一旦帰宅する。今考えれば、こんな脅迫のような条件を、親はよく許してくれたものだと思う。ちなみに、その後、ヘリコプターを飛ばしてくれた叔父は、バブルの煽りを受けて倒産したらしい。

17歳 公認の一人暮らし

「一人暮らしを始める」という条件の通り、大阪は枚方パークの側にある、ボロアパートで一人暮らしを始める。裏に京阪電車が走っていて、電車が通る度にCDの曲が数曲飛んでいた。なにかと、偉そうな事ばかり言うが、口ばっかりでお金は無いので、敷金や、遊び呆けて家賃を払えないときなどは、父に借りていた。

この辺りから、ドラムを始めてバンドを組むが、髪を伸ばして髪は金髪、ピアスはして格好だけは一人前だけど、全然練習をしないのでヘタクソ。丘サーファーと揶揄(やゆ)されているのが、褒め言葉だと勘違いして喜んでいた、とても痛いヤツだった。

18歳 九州へ放浪の旅

「ロックンローラーは放浪だろう」と言うことで、パンツと靴下を各3枚と、現金5万円だけ持ち、普通電車で2日かけて九州は福岡へ向かう。思いつきで向かったので、大阪で当時借りていた部屋は自分で解約もせず、父に電話して「あとよろしく!解約して部屋の荷物捨てといて」と言って旅立った。どこまでも、舐めている奴だった。

19歳 気楽に浪費

日雇いのアルバイトをしながら、気楽な毎日を生きていた。お金が貯まったら、中古の車を買ったりして、浪費していたが、毎日が楽しければいいという、刹那的な青春を満喫していた。

20歳 貯金が身につく

この頃まで、朝起きるのが苦手で、あまり働かなかった。今で言えば、半分ニートかもしれない。ある友人が、毎日朝迎えに来てくれたお陰でペースができ、きちんと働くようになり、この頃から「支出を抑えれば、お金が勝手に残っていく」という感覚が身についたように思う。


21歳 家業を継ごうとする

父は大工をしていたが、ちょうど忙しくなっていたので、戻ってきてほしいと言われ大阪に戻る。今考えれば、私が胃潰瘍で入院した直後だったので、無理をさせないために、忙しいと言っただけのような気がする。

一応、親孝行しようかと思う気持ちにはなってきており、10代で作った父からの借金を、父の手伝いをして得たお金で返した。内部循環しているだけなので、返したと言えるかどうかは微妙だけど。

この辺りでは、小銭を貯めては人に貸したりし出したが、契約や担保など保全の知識や考え方は全くなく、ほとんど全てが帰って来なかったと思う。

23歳 家業を継ぐのを諦める

父の大工の仕事が、急激に減る。当時は、集客の方法も分からず、今のように、パソコンやインターネットもなかった。毎月の給与もほとんど無い月が続き、引越しのアルバイトや、土木作業などをして食い繋いでいた。辛かった。

24歳 就職

福岡にいるときに、アルバイトをしていた会社の人に紹介され、大阪にある某上場会社の子会社へ社員として就職。初めての会社員となる。スーツを着て、定期券を持って出社するだけで、なんだか急に大人になった気になっていた。

27歳 副業三昧

会社員のかたわら、副業として自ら、物品販売やサービス業を行ったり、たこ焼き屋への出資したりもしたが結果は散々。この辺りは、貯金しては副業や出資をして失敗し、お金が無くなっては、また貯金して貯めるということを繰り返していた。

このあたりから、会社においてあった日経新聞を読みだしたが、正直、何が書いてあるのか理解していなかった。株価欄なんて、見ても判らないのに、さも判る顔して眺めていた。もちろん、株式公開も上場も、意味が判っていなかった。

31歳 起業

「来年から主任です」と辞令が出たのを機に、「このまま役職があがれば、安定に甘んじる」と思ったため、会社員を辞めて起業する。しかし起業した時には、明日から何をするのかさえ、決まっていなかった。当然、毎朝出社しても、やることは無かった。それなのに従業員を雇っていたため、退職金と貯金を原資とした資本金の500万円は、1年ほどで無くなった。

32歳 不動産投資

祖父が亡くなったため、祖母が家を売ろうとするも売れず、代わりに売ってきて欲しいと相談を受ける。自ら貯金をはたいて、その家を買い取り、初めての不動産による運用を行なった。この不動産投資によって、漠然とではあるが、「投資したものがお金を運んで帰ってきてくれる」という感覚を覚えたような気がする。

33歳 現物株や225先物の自動売買

ウォーレン・バフェットに影響を受け、現物株による投資を始める。企業の現在価値を計算し、割安株を探すというバリュー投資という方法だった。知識は、手当たり次第に書籍を買って勉強した。期間は、数日から数週間の短中期の投資が多かったように記憶している。

34歳 個人の事業への投資を開始

個人の事業への投資を行なった。最初の案件は50万円の出資からスタートした。これまでも、個人に対して、投資に近いことをした時期もあったが、「運用」という意識を持って投資したのは、この辺りからだと思う。ちなみに、この時に投資した人が、後のエンジェル投資の基盤を作るきっかけを作ることとなる。

35歳 225先物や為替による短期投資開始

個人への事業投資よりも、もっと短期で資金を回転させて利益を得る方法を模索する。225先物や為替による短期投資、デイトレードを始める。1日24時間のうち16時間は、モニターを見続ける日々。少なくてもこれは、不労所得ではないと思う。しかし、まさに相場は人生の縮図。相場からは、人生の多くのことを学ぶことができた。

36歳 エンジェル投資開始

エンジェル投資の基礎となった、最初の事業への投資を行った。しかし、当時は「エンジェル投資」という言葉も知らないし、まだ今のような目的も固まっておらず、ただ漠然と「事業をしたい人に出資したい」というだけのものだった。お金への執着が、減って行ったのも、この辺りだったような気がする。

39歳 起業家の公募を開始

紹介のみでエンジェル投資を行っていたが、出資案件が増えずに利回りが低下する。既に出資していた法人内での社内ベンチャー案件や縁故出資も検討するが、成果が上げるに至らなかった。そのため、ウェブサイトを作り、不特定多数の起業家への公募を開始した。恥ずかしながら、この年になってやっと「エンジェル投資」と言う言葉を知った。

40歳 エンジェル投資に集中

投資対象を、創業期の起業家への投資を目的とした「エンジェル投資」一本に絞る。配当の二重課税により、投資資金が減ってしまうのを防ぐことを目的とし法人での運用を開始した。